野洲表日光鬼怒川 山水閣 絵葉書

旅館・温泉街
大広間、浴場、玄関

【概要】

栃木県の鬼怒川温泉にある山水閣が発行した戦前絵葉書です。この旅館は昭和6(1931)年創業で、国立国会図書館デジタルコレクションの検索では昭和10年頃から各種業界団体の総会や親睦会に用いられたことが確認できます。すでに昭和4年には下野電気鉄道(現・東武鬼怒川線)が開通しており、団体客を集める素地は整っていました。

鬼怒川温泉は、戦後、関東の奥座敷として大規模な集客を可能とする温泉街として発展します。ところが他の多くのこうしたタイプの温泉街と同じく、バブル崩壊後には苦境に立たされます。都心からやや遠いというデメリットもあり、バブル期の設備投資が2000年代には負債となっていきました。

この間、山水閣は昭和26(1951)年の旅館全焼の悲劇を乗り越え1970年代に鬼怒川プラザホテルと近代的な名前にあらため、時代の要請に応えました。しかしやはりバブル崩壊以降はやはり経営が厳しくなっていったようです。

バブル景気以降の鬼怒川温泉をめぐる環境に一つの変化が訪れたのが平成15(2003)年です。この地の温泉旅館の多くに出資していた足利銀行が経営破綻し、預金保険機構が預かる形となり融資が厳格化しました。その影響で平成17(2005)年頃には温泉街で倒産が相次いだそうです。鬼怒川プラザホテルはこの時期存在していた産業再生機構による支援を受けて債務の整理が行われたこともあり閉業をまぬかれ、現在も営業を続けています。

火災や経営危機、そしてコロナ禍などこの旅館と地域とが歩んだ道のりは決して平坦ではありません。しかしかつての絵葉書に記録された旅館は今なお鬼怒川温泉で人々を迎え入れています。

参考1:事業計画の概要

参考2:鬼怒川温泉(Wikipedia)

参考3:『栃木県歴史年表』(下野新聞社、1970)(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧)65ページに火災の記事あり

【内容】包紙1、絵葉書3

(山水閣全景)/大広間、浴場、玄関/鬼怒川小佐越の吊橋、山水閣楼上の眺望

【撮影・作成年代】大正7(1918)年~昭和8(1933)年

通信欄の罫線が宛名面の2分の1の位置にある点、右から「郵便はかき」の表記のため。

【作成】表日光鬼怒川 山水閣

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