長谷川養狐場 絵葉書

ありし日の人々
豪華の毛皮を誇る夫婦 其一(睦 むつみ)

【概要】

化学繊維の進出以前、動物の毛皮は女性用の衣料、その他防寒具への用途があり貴重な存在でした。もともとは野生の狐を狩猟して毛皮を入手していましたが、狩猟が続いたことにより狐が減少します。大正時代、初めは政府主導の養狐場が樺太や千島に設置され、その後昭和初期から10年代に民間の養狐場が樺太・北海道各地に出現します。本絵葉書の舞台となる北軽井沢には、養狐業の経験を持つ人物が移住することで事業が展開していきました。専門業者だけでなく農家の副業としても人気があり、業者から狐をもらい受けて飼育し毛皮にする事例があったそうです。こうした養狐業は戦争の時代におおよそ終焉を迎え、昭和30年頃まで続く事例があったそうです。

絵葉書には養狐業や養狐場の実際がよく記録されています。狐が結構可愛くて、この後毛皮になるのはちょっとかわいそう、と思います。ですがこれは現代人の感覚ですね。狐の毛皮は需要がありましたから、各地で機会と捉えてたくさんの人が養狐業に挑戦したのでしょう。

【内容】12枚

長谷川養狐場(正門)/当場豪華版ーー輸出毛皮/毛皮陳列場ト仔狐飼育舎ノ一部/場内盛夏風景ーー河鱒ノ養殖池/場内盛夏風景ーー清涼渓(地蔵川)/仔狐ト戯レル管理者/(運動場内ノ仔狐)(其ノ一)ダッシュ/(運動場内ノ仔狐)(其ノ二)スクラム/豪華の毛皮を誇る夫婦 其一(睦 むつみ)/豪華の毛皮を誇る夫婦 其二(おあづけ)/(飼育柵前庭ニ遊ブ仔狐)平和(其ノ一)/(飼育柵前庭ニ遊ブ仔狐)(其ノ二)対峙

【撮影・作成年代】昭和8(1933)年以降~

宛名面の表記が右から「郵便はがき」のため。

【作成】長谷川養狐場か

地蔵川という川は北軽井沢にあるため、本場もその近傍にあったことと思います。

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